水車からくり人形
歴史と系譜
当社のからくり人形は創始年代は明らかでありませんが、分かっている範囲でも江戸時代末期には行われていたようです。 またどういった経緯で始められ、どのようなものを手本として確立していったかもはっきりとはしません。
創始年代期の推察
豊玉姫神社前を流れる水路は、農業用水路として麓川(万之瀬川支流)からひいているもので、その水源は東に1.5kmほど、大心寺近くのところにある山下井堰です。 山下井堰の築造は安永9年(1780)であるようですが、町内の農業用水路の築造年代に比べかなり遅いことを考えると、 それ以前から通水していた可能性もあります。
知覧の郷士と人形劇との出会いを考えてみると、薩摩藩内の操り人形の最初の記録は元禄7年(1694)で、 知覧領主邸での上演が宝永7年(1710)に行われたようです。延享3年(1746)には傀儡子による影戯の記録もあります。
これらの操り人形が、どういった系統のものかははっきりしませんが、17世紀終わりから18世紀にかけて薩摩で人形劇が認知され、 上演され始めたことがわかります。
これらのことを総合すると、およそ17世紀まで遡ることはできませんが、18世紀中・後期に始まったと考えていいだろうと思われます。
人形の系譜
どの系統の人形の影響を受けているか、という点については、民俗文化財調査事業報告書『薩摩の水からくり』において二つの可能性が指摘されています。
一つは、南薩摩の万之瀬川流域を中心として、単純な回転だけのからくりが存在し、そこへ浄瑠璃系の技術が導入され発展したとする説です。
南さつま市加世田の竹田神社の水車からくりや日置市吹上の吹上温泉の水車からくりが今日でも知られていますが、
これらの水車からくりは、当社のものとは違い大型の人形を設置して舞台ごと回転させる構造です。
当社のものと比べると構造はかなりシンプルであり、当社もこれを原型として始まったという考え方です。
もう一つは、鎌倉時代に始まったとされる御盆の灯籠人形飾が発達した「台付きからくり」が大型化し、動力を水車にしたものであるという説です。
福岡県八女市の灯籠人形に代表される台付きからくりの技術が導入されて始まり、当初は手回しなど、人の介入する動力であったものを、
後に南薩の水車からくりに倣い、動力を水車にしたという考え方です。
前者をとるとすれば、やはり「水」が絶対条件になりますから、水路の通水以降に始まったということがわかります。 後者であれば、水路が完成する以前に遡ることも可能になります。
南薩摩のからくり
少なくとも、水車をからくりの動力とするものは南薩数か所で見られ、発祥の地は不明ですが、同一の起源とみてよさそうです。
水車 | 人力 | |
回転舞台 | 竹田(垂直) 川畑(垂直) 井手ノ元(垂直) 吹上(水平) 浮辺(垂直) | なし |
劇場型 | 豊玉姫(垂直) 招魂社(垂直) 大心寺 恵比須 |
峯苫 取違 伊勢 射場堂 |
水車を動力とするものと、それに類似した手回しのものは明治のころには数多くあり、現在ではほとんど廃れていますが、列記すると
日置市吹上町吹上温泉、南さつま市加世田の竹田神社、同加世田川畑の招魂社、南九州市川辺町平山の井手ノ元水神、
同市知覧町西元の峯苫氏神、同取違氏神、知覧町郡には、豊玉姫神社、知覧招魂社、大心寺、恵比須神社、射場堂、伊勢神社、知覧町東別府の浮辺氏神
と各地で行われていました。
しかし、内容としては様々で一応の分類をすると
- 舞台ごとまわる回転舞台式と、当社のような劇場型
- 動力が水車・人力(手回し式など)
- 水車の向き(水面に垂直・平行)
といった分類ができます。
知覧大工の活躍
さて、南薩のからくり人形を見てみると、その多くが知覧の地に集中しています。
古くより知覧は腕のいい職人が多く、知覧大工とという言葉も残っているほどです。 当社のからくり人形は、この職人たちが夏の余暇に製作し奉納していたものであるといわれ、 精巧な部品や複雑な仕掛けは、彼らの工夫によって誕生したのでしょう。
知覧の劇場型に発展したからくり人形群は、水車式、手回し式に関わらず、おそらくは同様の起源をもち同じように発展していったと考えられます。 互いに影響を受けながら、より複雑化していったのです。
特に下郡地区にある当社と、上郡地区の射場堂(武家屋敷内)は、明治・大正の頃、地区の青年たちが互いに競い合っていたようです。 六月灯で上演されるまで内容や仕掛けを秘して、相手より素晴らしいものを作ろうと、工夫を重ねていたと伝わっています。 また、取違氏神では当社の御祭神とゆかりが深いこともあって、当社と互いに協力していたとも伝わります。 当社から人形を貸し出したり、同様の演目を行ったりしていたといいます。
消滅と復活
明治期には日露戦争の影響を受けて明治37・38年()に中断、その後大正4年()に復活したもののすぐに消え去り大正13年に再び復活しました。 しかし、昭和の不安定な政情の中、戦争の激化に伴って昭和16年再び中断、その後しばらくは行われず、次第に忘れられていました。
昭和50年代の初め、戦前のからくり人形を知る氏子たちの間で復活を望む声が沸き起こり始めます。 昭和53年には、専門家によって「鹿児島県下の水車からくり調査概報」が届き、当社のからくり人形が全国的にも珍しく、 貴重なものであるということがわかり、急速に復活の声が強くなっていきます。
昭和54年2月には、当時の知覧町をはじめ方々多くの尽力があり、保存会の結成に至りましたが、その中で戦前のからくり人形製作に携わったのはわずか1名。 その古老の記憶や、当時の資料、あるいは残存していた人形、機構をもとに、急ピッチで作業が行われました。
戦前の人形の中で、比較的保存状態の良かった「牛若丸と弁慶」が復活最初の題材に決まり、人形本体は当時のものが化粧直しして使われましたが、 からくり部分や小道具、水車は新たに作られました。舞台小屋は近所の大工に依頼して作りました。
ともあれ、急ピッチで進められたからくり製作は、無事同昭和54年7月の六月灯において復活を遂げたのです。
復活後のあゆみ
文化財の指定
戦前から保存していた人形、機構の調査が進み、それを復活させた功績も認められ、 復活とほぼ同時、8月には町の指定文化財に、昭和58年4月には県指定有形民俗文化財に、 また、昭和59年12月には文化庁長官より、記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財として選択されました。
水車
水車は昭和54年の復活の際につくられました。戦前は直径4尺の小さなものでしたが、馬力や吃水等考慮して大きいものが作られました。
平成12年には同じ大きさで新たに作りなおされ、防腐の点から赤く塗装が施されました。平成31年には同様のものが作り直されました。
舞台小屋
舞台小屋は、初年度に作られたものは小さかったため、2年目には新たに大きく作られました。これは9年の間使われています。
平成元年には、現在使われているからくりやかたが完成します。前の柱を取り除き、前方から見やすい舞台となりました。
演目
昭和54年の復活より前に行われていた演目は、ほとんど明らかにはなっていませんが、 復活後にないものとしては、「さるかに合戦」「稲村ケ崎の新田義貞」「桜井駅の楠公父子」「児島高徳」「熊谷直実と平敦盛」が判明しています。
題材は毎年変わります。近年では、ほぼ10年周期で同じ題材となることが多くなっています。 題材選びの基本となるのは、教育にふさわしいか、物語を楽しめるか、また動きの華やかさがあるかです。 「おとぎ話」「神話」「歴史上の逸話」の中から選ばれるのが通例になっています。
おとぎ話 | 「桃太郎」「浦島太郎」「かぐや姫」「花咲かじいさん」 |
神話 | 「天の岩戸」「八又の大蛇」「因幡の白兎」「海さち山さち」 |
歴史上の逸話 | 「牛若丸と弁慶」「那須与一」「川中島の決戦」「西郷どん」「巌流島の決闘」「忠臣蔵」「大阪夏の陣」 |
変わるもの・変わらないもの
進化する文化財
水車からくり人形は、文化財です。ですから、本来であればあるがままの姿を残していくことが正しい在り方なのかもしれません。
しかし、上郡の射場堂のからくりと下郡の当社のからくりで、地元青年たちが技術を競っていたという過去もあります。 おそらくその過程の中で大きく進化を遂げたのが当社のからくりの真の姿ではなかったかと思います。
また民俗文化財という立場からしても、人々の生活に根差した鍛錬された文化や技術であったわけですから、 技術の進化を含めて保存していくことが肝要です。
保存会ではその考えのもと、毎年工夫を凝らし、新しい動きを生み出す努力を重ねています。
守っていくもの
保存会での共通認識として、動力が水車であること、部品の大半を木で作ることにはこだわっています。
「水車からくり」という全国でも南薩地方にしか見られない技術で、最も肝要なのは「水車」の存在です。 これなくして水車からくりとはいえません。
また部品として、創始期にはなかったベアリングや布製のベルト、プラスチック、発泡スチロールなどを使ってはいますが、 まだまだ多くは木材によって作られています。 特に、構造部分の歪輪やテコ棒、歯車の類い、あるいは人形の頭や手足、胴体の大部分はほとんど木材です。 これは、加工のしやすさも一つの理由ではありますが、基本的には古い形のままにつくり、特別必要なところだけ新しいものを取り入れているからです。
最新の技術を用いれば、もっと複雑な動きもできますし、もっと容易に動かす事もできます。 電機式のモーターや、関節の自在に動く人形ををコンピューターで制御して、音声や照明など一体化させることも可能でしょう。
しかし、そこには「風情」がありません。
田園風景に溶け込む水車は、ギイギイ音を立てて回ります。木製のテコ棒は、歪輪の回転に伴ってガタンガタンと音を立てます。 この映像や音も、水車からくりの魅力の一つです。江戸の昔から、当社の六月灯はこんな音を立てていたのではないでしょうか。 保存会では、そうした六月灯の風景を守り伝えています。