由緒

概要

鎮座地鹿児島県南九州市知覧町郡16510
例祭日体育の日(10月第2月曜日)
境内地7,895.18坪
摂末社二社
等級一級社(旧県社)
神紋鏡に勾玉、また太鼓紋とも

ご祭神

瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 彦火々出見命 豊玉姫命 鵜草葺不合尊 玉依姫命 神武天皇 豊玉彦命

伝説

海の神である綿津見神(豊玉彦命)には二柱の娘がおり、姉の豊玉姫は川辺を、妹の玉依姫は知覧を治めることとなり、衣の郡(今の頴娃、開聞のあたり)をご出発され、 途中、鬢水峠、御化粧水、飯野、宮入松、白水を経て取違にお泊りになった。

ここで玉依姫は川辺が水田に富むことをお知りになり、急いで玄米のままの朝食をとり川辺へ先発された。 平常のように白米をお炊きになった豊玉姫は遅れてしまったので、やむなく玉依姫の治めるはずであった知覧へ向かい、上郡の城山の下に居を定めて知覧を治められた。

ここで豊玉姫は民生を撫育された後崩御遊ばしたので、郷民はそのご遺徳を慕って社殿を建立し、鎮守の神として崇敬したのが当社のはじまりといわれる。

詳しくは豊玉姫伝説の地をご覧ください。

歴史

天正年間(1573~1591)火災に罹り消失。慶長15年(1610)に時の領主島津忠充公が現在の地を寄進し、遷宮したと伝わる。

応永年間、元亀年間、慶長15年、寛文11年造替再興が行われた。現在の社殿は昭和14年に建立されたものである。

特殊信仰

ご祭神の豊玉姫命は御顔が玉の如くご立派な方で、御子をお産みの時も安産遊ばされたので、妊婦は当社を信仰、崇拝すれば、必ず安産で、美形の子を産むと信じられ婦人の崇拝は殊に厚い。

また豊玉姫命の父神、豊玉彦命は綿津見神として知られる海の神様であらせられ、漁業に従事する方の信仰も厚い。

宝物・伝統芸能

当社に伝わる宝物も多数で、歴代知覧領主直筆の書額、木彫の狛犬、セレベス島特有の武器である火焔型剣、また神楽面は34面に達する。

また当社伝来の芸能として、神舞四番(鬼神舞、降神舞、宮毘舞、田之神舞)があり、恒例祭等で奉納されているほか、六月灯においては水車からくり人形が上演される。

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